下町・オブ・下町のストリートアートと、マイルドな物乞いにあった話(2020/02/28 19:53)
2020/02/28 19:53
おひさしぶりです、ゆきなです
あたたかい日が多くなりいろいろお花も咲いてるしで、最近は隅田川近辺をぷらぷら散歩しております。
スカイツリー以外に巨大建造物がないせいか、空が広くてすごく気持ちよいのです。
ちなみにスカイツリーの施設も最近初めて行きましたがあまり混雑してなくてよいですね。
わたしはカップルの群れをひとりで低見の見物するのがすきです。
墨田区向島から隅田川を渡り、台東区に入ると現れる、玉姫児童館。
こちらのストリートアートというか何かの記念年作品?でこどもたちが描いたと思われるやつがかわいくて写真を撮りまくったものが冒頭の画像です。
この玉姫児童館のそばには玉姫神社と、そのお隣に玉姫公園というすこし広めの公園があるのですが…
ブルーシートでできたテントのようなものがたくさんあり、公園生活の方々が集まる場所のようです。数人のおじいちゃんがおしゃべりとか新聞読んだりとかしてます。
さらに進むとこじんまりとした「ビジネスホテル」がたくさん。
ホテル街といってもラブホ街とは全く趣が異なるというかなんというか眩しさが皆無です。
「全室冷暖房完備・カラーテレビ付」とか表記された看板の数々。
つまりカラーテレビ冷暖房がアドバンテージだったころから時が止まってる?
これってもしかして…
と思って調べてみますと
ここはディープな街の代名詞(?)日本三大ドヤ街の一つ、山谷というところですね。
あしたのジョーの舞台としても有名らしいです。
以下Wikipedia 「山谷(東京都)」より引用
元々は日光街道の江戸方面の最初の宿場であった。
明治初期から政府の意向で市街地の外れの街道入口に木賃宿街が形成され、吉原遊廓の客を送迎する人力車の車夫等、戦前より既に多くの貧困層や労働者が居住していた。
太平洋戦争戦後、東京都によって被災者のための仮の宿泊施設(テント村)が用意され、これらが本建築の簡易宿泊施設へと変わっていった。東京大空襲などで破壊された東京の復興を経て高度経済成長期が到来すると労働需要が高まり、日本有数の寄せ場として発展した。
ー引用ここまでー
かつて東京のビルや道路造りに携わっていた元日雇い労働者の人々がいまはひっそりと、多くが生活保護を受けながら暮らしているとのことで…
せつなく難しい近代の闇が含まれている街ではあります。
それにしてもよく言われているような酸っぱい匂いとかは全く感じられず。
この宿群のひとつ表の通りはおだやかな下町の商店街という趣きで、まったく治安の悪さを感じません。
ゴミの散乱や路上プチ酒盛りなども今は無きものとなっているようで、道の隅も空気もきれいだと思いました。
帰り際にマイルドな物乞いのおっちゃんにあいました。
やけにニコニコした顔で
「100円だけでいいからさ、カンパしてよ。」
とか言ってきます。
2秒悩んだのち
「本当ごめん、いま現金持ってねくて…」
基本ジェンダーフリー的な思想のわたしですが、女性が男性にむやみにお金を渡して良かった話ってあまり聞かないですし…
なんだろう、セブンイレブンとかでバイトすることもままならないような事情を色々抱えているのかな…
うちに拉致できたら一日草取りとかしてもらってランチ付きで日給渡せるのになぁ、とか後になって思いましたが。
ほんのちょっとせつなくなって、考えさせられた日でしたね。
まずまず、彼はきっとなんとかできるはず…と信じてわたしはそそくさと房総の野へ帰りました。
きょうも見に来てくださりありがとうございます。
寒い日がまだちらほら。
どうかお元気でまた会いましょう!